BLOG クローバープラスのブログ

「仕事」について

2019.4.13

仕事についての考え方に変化があったので備忘録として書いておこうと思います。

この先、12年くらい精進して過ごせば、また考え方が変わると思うのですが、新しい時代の始まりの前に書いておこうと思います。

若かりし頃、私は「充実した人生は、仕事のチョイスで絶対に決まる」くらいに思っていました。「人生の時間のほとんどを仕事に費やすことが当たり前」という時代背景で、諸先輩達の働きぶりを見てきたから。

残業も、休みも、当たり前に仕事するなら、「好きを仕事にするべき!絶対」というのが、私のこだわり選んだ信念でした。

しかし、SNSのアカウントを個人が持ち始め、個人の主張を自分のチャンネルで世界に発信できるのが当たり前になった頃から、時代背景は一気に変わりました。

個性優先の生き方が尊重される時代に突入し、法やルールを犯さない範囲で個性をいかに押し通して、自分らしく生きられるかが勝ち組のような風潮になりました。副業は当たり前、残業は悪。好きはアフター5と休日に十分楽しむ。
今まさに個性最強という時代を迎えようとしているのだと感じます。

そんな時、こちらのサイトを目にする機会がありました。

ベストセラー『バカの壁』で知られる養老孟司さんは、著書『超バカの壁』で、自身の「仕事論」をお話しています。

「自分に合った仕事を探しているから」と、ニートなどをしている若者に向けた言葉です。

「仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。(当サイトより )」

このサイトを見て、

人知れず、誰かがやらなければならない仕事に従事している人がどれほど大切で、そこで働く人たちがシステムとなってくれていることで守られている社会のサービスはたくさんある。このことに改めて感謝する機会をいただいたと思っています。

そこには「好き・嫌い」の概念はなく、「誰かがやらなければならないこと」しかありません。

「社会に空いた穴」に気づき、「穴を埋める人」がどれほど大事で、人口が少なくなった今、前にも増して必要な時代になったのだと思います。

ライフラインや社会福祉などの業界で従事してくれている人がいてこその、自己中心的な発想で「夢=仕事」を選ぶことができる。(もちろん、福祉で活躍すること=夢という方々がたくさんいることも承知です)

「仕事は人生の大半、そのチョイスは人生にとって何よりも大切…」。そう信じて疑わなかった時代はいったん終わるのだなと思いました。

「好きは探すべき」しかし、それを仕事にするか否かは別問題。

「仕事」とは人生において何か?は人ぞれぞれ。十人十色。全て正解の時代。

それでも、好きを仕事にできた自分は、性に合っているのでとても充実しています。目の前のお仕事に真摯に向き合っていこうと思います。感謝。

令和の令

2019.4.12

新元号が「令和」に決まり「令」を広辞苑(第七版)で調べてみました。

 

 

 

れい【令】で調べると、

「①命ずること。いいつけ。②おきて。のり。③長官。→令長。④他人の家族などを尊敬していう語。「-夫人」」とありました。

 

 

 

さらに「りょう【令】」でも調べてみると

「古代東アジア諸国の法典。」とあり、
「君主の命令から法令をまとめた編纂物をも指すようになり、日本では「大宝律令」として大成、710年に改定して「養老律令」三〇編九五〇余条とした」のだそうです。

 

 

 

令和と聞いて、令の字は命令の「令」という印象が強かったのですが、
ルール(おきて、法令)の中で個性がひかり「和」が保たれる時代に…という意味もあるのかなと個人的に思っています。

 

 

 

りつりょう【律令】を調べてみると、

広辞苑では「律と令。律とは刑法、令は行政法などに相当する中央集権国家統治のための基本法典。」とありました。

 

 

法令遵守(コンプライアンス)が企業にとって大切なこの時代に「令和」はふさわしい元号かもしれません。逆に、そうしたフレームをきちんと整えていない企業・団体は早いところ整えないとと…と思います。

調べれば調べるほど「令和」への違和感がどんどんなくなり、「なんだかこれからの時代にぴったり!」と思えるようになって来ました。

 

 

 

新元号の出典は、日本最古の歌集「万葉集」の「梅花(うめのはな)の歌三十二首」とのことでした。

以下の序文から引用したそうです。

「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」

安倍晋三首相は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と「令和」に込めた意味について話していました。

 

安倍首相の「人々が美しく心を寄せ合う中で」という言葉は、

法令遵守しながらも、何かあれば歩み寄って、和を保ちながら、育んで解決して行こうというメッセージに聞こえてきました。当たり前のことのような気がしますが、歳を重ねるほどに実はなかなか難しいことなのかもしれません。
高齢化の進む秋田で暮らす中で、「美しく心を寄せ合う」という言葉を心に留め、具体的にどういうことなのかを考えながら「令和」を迎えたいと思います。

 

 

 

 

明けましておめでとうございます

2019.1.4

新年、明けましておめでとうございます。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

本年も相変わらず、よろしくお願いいたします。

皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 

また、新年は1月7日より営業いたします。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

感謝を込めて

2018.11.18

11月9日、2011年に法人登記してから 弊社はおかげさまで 7周年を迎えました

個人事業の時代の節目で数えると、2019年3月で創業10周年です

これもひとえに お客様をはじめ、チームで動いてくれるデザイナーさんやカメラマンさん、ライターさんなど、皆様のご支援の賜物と感謝しております

これを機にスタッフ一同 皆様により一層ご満足頂けますよう真心をこめて業務に専念する所存でございます

今後とも よろしくご愛顧の程よろしくお願い申し上げます

佐々木幸子

俳句の人

2018.8.10

TBS系の「プレバト!!」で俳句の先生をしている夏井いつきさんが、今年10/28に秋田に来るという記事を秋田魁新報で読みました。

 

 

その記事の中に、心に届いた言葉がありましたので備忘録です。

 

 

秋田魁新報8/8付 一部抜粋

「選句にあたって夏井さんは「伝統だ前衛だと価値を決めつけたとたん、芸術は根腐れし始める。そこに一欠片の詩があれば、読み手の脳は喜びに震える。たった十七音の中に、小さな詩を感じ取り、嗅ぎ当て、掘り出す。それが選者の喜びだ」としている。」抜粋終わり。

 

 

伝統だ前衛だと価値を決めつけたとたん、本当にそれは残念になります。

 

 

でも、それをとらえる人の世界観がプラスされることで、その時代に合った輝きを放ち、その瞬間や物事や歴史が一気にキラキラになります。「そんな風にとらえるんだ!」って感動します。

 

 

読み手のそれが選者に伝わったとき、選者の心はとても満たされ、

読み手と選者の素直な心が、1つの句で共有されるのだなって思います。

 

 

同じ物事も、捉え方で輝きが違う。

 

何千年前から続く常識からも、

過去にない、今の時代だからこその、捉え方が生まれる。妄想の世界、自分だけのファンタジーでもいい。

 

そんな世界観を素直に受ける心が育まれるのが俳句なのだと思いました。

 

 

 

 

終わった人

2018.7.19

文庫本になった内館牧子さんの「終わった人」を一気に読み直しました。「読み直した」というのは、数年前読んだ時は、全くもって自分事として捉えることができずに読み終えていました。定年を「生前葬」と例えた主人公の言葉が衝撃的であったことは記憶にありますが、当時の私には「事業を起こした自分には定年も終わりもない」という、優越感にも似た思い込みがあったと記憶しています。

 

 

 

今回は違いました。どんな人にも訪れる「終わる」時期。どんな人にも命の限りはあるし、世代交代は訪れるということ。最前線ではいられない衰え。肩書きがなくなることを「終わった」というのか、それとも健康を失った時を「終わった」と言うのか。自分の「終わった」とは何か、どんな状態のことかを考えさせられました。

 

 

私の「終わった」はもう少し先だけれど、それを意識し、未来に「この辺」と点をつけた今の自分は、あのときの読後感とはまったく気持ちが違っていました。

 

 

そして、老いを恐れず、ちょっとだけ、もう少しだけ1upしようとする希望が沸いてきました。「終わり」を決めたら、不思議とワクワク♪なのです。

 

 

散る桜残る桜も散る桜・・・

 

 

 

ある人から、散る前にやり残したことがあることを気づかされました。さてと、やるだけやってちゃんとこの世でやり切り、成仏できるようにしないと。

 

 

 

散り際千金

 

 

 

 

春に満開の桜を見る目が 今までとはすこしだけ変わりそうです。

 

 

 

 

 

人生の後半に突入した私の人生。もう一度「心技体」の面からイメージして、今までの40年を棚卸ししつつ、これからの40年に向けて仕入れをして、希望を持ち、つつましく老いも受け入れ、楽しく生きていきたいと思います。

 

80代からしたら40代なんて、まだまだ学ぶ事はたくさんあるはず。だって、40代から見たら20代で打ち拉がれている若人を見ても「大丈夫、全てはこれからだから・笑」って余裕で思うもの。

 

 

 

素晴らしい本に出会えて、大きな転機をいただきました。

 

 

約20年前、根拠も無く「わたしは社長になる」と心に決めていた私。何をしたらいいのかも分からないくせに自分の心で社長宣言しちゃって、「なに言っちゃってるの私」と自分で自分が可笑しくて、歯がゆかったあの頃を思い出しました。

 

今、あの時と似ている感情が湧いていて、蘇りました。

 

「なりたい」を自分が認めて、「なる」と言い切り、「なれたら人生ちょっと面白かも」って希望を持って努力し、タイミングを味方に決断していけばきっと大丈夫。根拠は無いけど「未来にそうなっている」というイメージが、僭越ながらついてしまったのだから。

 

 

人生で2回目の自己暗示?なのか分からないけど、根拠のない「なる」のスタートです。

仕事、ますます楽しくなりそうです。

 

 

 
映画『終わった人』公式サイト
http://www.owattahito.jp/

主題歌は今井美樹さんの「あなたはあなたのままでいい」。タイトルも素敵です。
https://www.youtube.com/watch?v=SIvuaIaJMEQ
https://owattahito.tumblr.com/

「社長さん、遅くまで働く社員、かわいくないですか?」

2018.6.26

 

 

 

「社長さん、遅くまで働く社員、かわいくないですか?」

 

 

 

これは、社会保険労務士さんのお便りか何かにむかし書いていたフレーズだったと記憶しています。

当時、社長の私は心の中で「はい、めっちゃかわいいです」と答えていました。

私自身、変わらねばと思い始めて、今年に入って「変わるための自己改革」を3年計画で立てました。

時代の常識は、私が努力し苦労してきた過去を否定しますが、過去に縛られず、素直に意識して、未来の常識を取り込んでいかないと…と思います。

子育てしながら親も一緒に成長すると言いますが、会社もまた、会社を生んだ者として会社と一緒に成長していきたいと思います。

起業せずとも、2代目、3代目で会社を引き継いだ社長さんたちもたくさんいます。お話を聞いていると、生む以上の大変さもあると思います。初代の常識が強く影響するからです。それでも、時代の常識は変わり、自分たちが努力し苦労してきた過去を、時に否定します。だから、ある3代目の社長さんは「先代が全てではなく、未来を見据えて判断し、ぶれずに、後悔しないように、成長していきたい」と話してくれました。

 「社長さん、遅くまで働く社員、かわいくないですか?」

かわいい。ではダメ。

時間内にちゃんと終われる人、ライフワークバランスを考えられる人が〇の時代です。弊社の社是に「私たちの会社は、正しく成果を上げた人を、正しく評価します」という項目があります。法人の目で正しく人を評価できる、「客観的視点を育み続ける法人格」を目指さなければいけないと思います。

お取引先の担当者さんから、「すみません!今日残業できない日なんです!」と言われると、心からすてきな会社とお仕事させていただいていると感じます。大きな企業であればあるほど、その下で働く企業も多いので、「すみません!今日残業できない日なんです。」は、優良企業です。こうした言葉を取引先に伝えることは、ひと昔前は非常識でした。

こういう常識と非常識の変化を一つずつ拾い上げ、感じながら、どちらも間違いではないけれど、私自身の自己改革の納得材料にしていきたいと思います。

18時です。

まずは社長がとっとと帰りたいと思います。

一人一人はいい人。

2018.6.8

日大のアメフト問題が世間を騒がせてしばらくなります。
友人や諸先輩と、このニュースのお話しする機会がありました。あくまでマスコミが発している情報だけがニュースソースですが、いろんなお話をしました。

 

 

 

「内田元監督も含めて、一人一人は、話すといい人なのだと思うのだけれど、組織の肩書や立場、顧問料などのお金のやりとりで、知らない間に正義がすり替わってしまったのだね。自分たちは気を付けようね。」

 

 

 

私も同感でした。

正義が知らない間に別の正義になることは、誰にでもあり得ることです。組織にいれば、こっちの正義の方が生きやすいし、間違いではないから……と。

 

この人と一緒にいて、何が得られるかを天秤にかけたり、

得られるものがあるから一緒にいてくれるんじゃないか とか

報酬が高いから納得いかなくても言うこと聞くとか

 

どれも間違いではないから、否定はできない。価値観の違い。

 

 

それが自分と違った考えでも。

 

正義が違って
悪に見える人でも、

どんな嫌な人でも、

探せばいいところがいっぱい出てきます。だから一人一人はきっと、いい人です。

 

 

 

「ボスの言う通りにすれば、守ってくれると思っていたかも知れないけれど、
ボスは守ってくれないということも、
ボス依存の人は気を付けてないとね。」

 

 

 

私もそう思います。

ボスと、肩書き以上なれ合い以下の関係を、

築くことができているかが大事だと思います。

 

 

 

自分が洗脳に近い状態にあることを、自覚できていない恐怖。
一人の人間として判断することができなくなっていることの恐怖。
私も若いときに組織の中では洗脳が楽ちんという感覚を経験しているので、身をもって人ごとではないと思っています。
なので、ボス依存の方や、肩書で態度を変える、肩書き星人の方を見ていると心配になります。

 

 

アメフトを経験している人からは
「アメフトでは当たり前のことで、そういう時代だった時もあるから、内田元監督を責める気にならない」と。
こういう時代が正しかった時も、確かにあって、そこから正義や信念を学んだ人もたくさん親になって社会生活を営んでいます。

ただ、その環境が時代とズレてきていると感じれる人が一人もいなくて、感じていても声を発することができない「環境」が問題なのだと思いました。選手も監督もコーチも、一生懸命な状態であればあるほど、常識が非常識と変化していたことを感じることができなかったのかな。私は人ごとではないと思います。

 

 

改めて、

 

何のために、その立場や肩書や権限を得て、社会の中で仕事をしているのか、
私も今、考える機会を頂いています。

 

 

 

権限がどんどん大きくなり、
肩書は偉くなり、
さらに経験が自信になる……
それと同時に、人としての夢やビジョンも、
大きくならなければならないのですが、
追いつかないのでしょう。

 

肩書や権限が変わるとき、
自信がみなぎるときは、
ビジョン修正の時でもあると思います。

 

 

もし、人としての夢やビジョンを、共に大きく描けない関係になってきたな……と思ったら、距離を置くことも必要です。

しかし、

多くの方はこの流れを壊したくなくなるのです。それも分かりますが、一つ上の関係を築くことはできると思います。

 

 

 

 

子供たちの父や母として、
胸を張れて、多くの人から感動と感謝の武勇伝を語られる方が、私は本当に強くすてきだなと思います。それは、カッコ悪いエピソードも含めてです。

 

 

一人一人はお話するといい人。
多分、悪人は私の周りにはほぼいません。
しかし、組織や肩書きが変わることで、「株を上げる人と、下げる人」がいるのは、事実です。

例えばですが、社長なのに会社の責任から逃げる代表取締役は、肩書だけで高い役員報酬をもらっていて、「株を下げる」ことになります。

 

 

 

アメフト問題、相撲問題など、組織の倫理が問われるニュースが世間を賑わせていますが、
ルールや倫理のないボスザルオンリーな組織は、淘汰されていく時代なのだと感じます。もし、自分の会社の体質が時代と合っていないと感じたとき、そこで「変えようぜ、変化しようぜ」と声を上げられる「環境」がありますか。

 

 

 

自分が扱っている技術・仕事で、心から望む「ありがとう」を得ているのか、振り返る機会をいただきました。

 

包丁を扱う料理人

 

法律を扱う弁護士

 

広告を扱う広告マン・・・・・・・

 

スキルを間違って使うと、知らぬ間に人を殺めることもできる。

 

スキルを正しく学び、扱うこと、あと何年生きるかわかりませんが日々精進です。

 

 

こういうことを考える機会をいただいた、今の環境に感謝して、

改めて、全てに真摯に、正直に向き合っていきたいと思います。

 

♯残飯、タッパ、1食分

2018.2.25

完食は美徳という価値観が抜けません。

 

昼夜に外食をすると、農家や調理してくれたシェフの手間や思い、「命いただきます!」の生きとし生けるものへの礼儀、さらには「私は食いしん坊」という現実と、いろいろなことが重なって、

いつもいつも、「もったいない病」が発症してしまう。

 

 

私、そんな日々の積み重ねで、とうとう糖尿病予備軍とか、中性脂肪高過ぎ!に直面。いよいよ不健康が現実になってきました。

 

 

自己管理ができていないのでしょう。そうでしょう。そうでしょう。
自分事ながら、すみません、それはいったんちょっと置いておいて、

「もったいない病の予防案」として、もしも、もしも、昼夜の外食時にこんな常識(システム)がまかり通ったらうれしいなと言う、個人的な勝手な案を書かせてください。

 

残ったそれ、タッパに詰めて帰りたい(自己責任で)

 

 

ひもじい人に見えますか(´。`)

本音を言えば、腹八分目にして、今日の夜ご飯にまたは明日の朝ご飯に、この残りを食べたい。

朝の忙しいときに一食分作る手間が省け、食材も無駄にしません。

外食していると、よく、食事の途中、腹八分目でいったん休憩してしまいます。まだ食べ物はテーブル一杯にあるのですが、まぁまぁおなかいっぱいになって来た時。この時に食事を終えられたらと、最近よく思います。

 

 

「残飯は タッパに積めれば  一食分」

 

 

例えばですが、タッパに自己責任シールを貼ったら(消費日時をお店の人に書いてもらって貼るの)、タッパで持って帰ってもいいとか、もしくは「自己責任タッパ」なるものを新しく作って、条例でルール決めて、生もの以外なら、6時間以内には食べるか廃棄することとか、細かくルールにして。この際、特区にするとか・・・(詳しくないので浅い考えですが)

 

 

ランチもディナーも、1食頼んだら2人分の量が出てくるお店も多く、最高においしくて大好きなお店でも、量を考えて値段も下げて欲しいと思うこともしばしば。「メニューの量を考える会」という会ままだ無いようですけれど、大中小みたいに、同じメニューの量を細かく設定するとかしてくれると、本当にうれしいな。

 

食べ物をガンガン捨てて、店舗増やしている外食産業ってどうなんだろうって時々思うのです。

 

 

でも、でも、もしかしたら一部の農家さんにとっては

 

 

「捨ててでも 買ってくれれば それが神」

 

 

なのかもしれません…

 

 

 

こちらは秋田市のもったいないアクション
http://www.city.akita.akita.jp/city/ev/cp/tabekiri.htm

もったいないアクション協力店さんが行っているという「食う~べえタイム」。はじめて聞きました。食べ残しを減らすための取組でなくて、食べられる量を個人が選択できる取り組みをすべきではないのか。そうなると、惣菜とか「中食」で食べれば?ということになるのかな…。「外食」では、コストとか商売とか、【彼方立てれば此方が立たぬ】状態なのでしょうけれど…

消費庁「食べ物のムダをなくそうプロジェクト」
http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/information/food_loss/

プロジェクトという大枠はありがたいのですが、思うところがいろいろありすぎます

 

そろそろ、一つ一つのお店が、自分たちのお店の残飯0・食品ロスへの取り組みや考え方を提示して欲しいと思います。

 

 

飲食店やホテルで忙しく働いていると当たり前に食べ物をガンガン捨てます。私も飲食店でバイトしていたから分かります。

 

でもね、

 

 

「残飯は 1秒前まで  客の物」

 

 

あんなに精魂込めて作った野菜たち、あんなにコストかけて流通に乗ってきた食材たち。別のことに価値が置かれている様な気がします。

 

先日、子育てとお仕事をがんばる友だちと、ランチをしました。平日ランチは彼女にとって唯一ゆっくり食事ができる時間だそうです。食事も終盤を迎えた頃、彼女が「この残り物持って帰りたい。おいしいし、食材もいいものだし、夜ご飯の1品になるし、最高なのになぁ。今、おなかいっぱいだから食べらんねーし。残すしかないかな。食い意地はって食べようかな。旦那にも食べさせたいな。私って、やっこかな…」って、泣きそうでした。一食、一品、ラクしたい働く母が、食材にこだわった飲食店でランチを食べて、残したときに、こんな風に思うことを知り、私の心はキューってなりました。

 

そして、席を立ったとたんに、皿の上のそれは、残飯になりました。

 

 

 

 

「食べる」ことと同じくらい「捨てること」をもっと意識改革しないといけないと思いました。・・・なぜか、ナスDを思い出した。

こんな国もあるんだなぁ。お国柄もあると思うのですけれど。

https://grapee.jp/412018

 

 

食いしん坊の個人的な意見でした。
ウオーキング1日30分と週末時々バスケ、がんばります。

壁と卵

2018.2.9

2009年、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した時に、イスラエルのエルサレムで「壁と卵」を例え話にした演説をしました。

 

 

村上春樹エルサレム受賞スピーチ
https://www.kakiokosi.com/share/culture/89

この時の「壁」と「卵」の表現を思い出す出来事があり、今更ながら腑に落ちることが重なったのでブログに残しておこうと思います。

 

 

村上さんは、壁を「システム」と表現した上で、自分は常に卵側に立つと話していました。このスピーチを読み終えた時に、私が浮かんだ絵(イメージ)は、

大きな壁に寄りかかり目を閉じる卵Aさんと、壁から離れたところ(でも壁のおかげで日陰の恩恵は受けている場所で)殻が割れないように 自立しようともがき、起き上がり小法師のようにコロンを繰り返す、卵Bさんでした。

 

壁に寄りかかっている卵さんAの方が生きやすそうです。壁が厚く頑丈であればあるほどそう感じました。

 

 

本来このスピーチは、壁=ミサイルや爆弾や戦車、卵=非戦闘市民を指し、イスラエル側を批判し、パレスチナ自治区の立場に立っている意味合いだと想像します。国際的なメッセージであることは間違いないのですが、「戦争」のない今の日本人にとっても深い意味のあるメッセージだと感じました。なぜなら、「システム」という恐ろしくも頼りたくなる「流れ」があるからです。

 

 

村上さんは、「システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」とも話しています。システムに魂はないと言います。

 

円滑に暮らすために作られたはずのシステムが、「システムありき」に乗っかって生きる人たちだけになると、だれも考えなくなってしまいます。システムに乗っかっているだけで「仕事」とは言えず、何も考えない人が増え、AIが間違って発展してしまった未来を想像しました。

 

 

人としてどうする?という考え方(自分個人の考え)と、システムに乗っからず客観的に捉えた考え方(公的な第三者の立場になった考え)、両方ないと、正しいことをしたと思っていたのに、蓋を開けたら知らぬ間に犯罪で、後悔を繰り返すことになると思いました。これらの判断は難しいし、瞬発的にできないかもしれないけれど、こうした判断が明暗を分けることを自分の中に擦り込みたいと思います。日本人の場合「NO」と言えない空気があるので意識して生きないとシステムにのまれてしまいます。

 

システムに寄りかかる生き方も、そうでない生き方も「あり」ですが、「人としてどっち?」を心に常に問うてないと、システムに押しつぶされてしまうことが起こると思います。

 

システムを作る人間は責任重大であることも心に留めたいと思います。

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