BLOG クローバープラスのブログ

♯残飯、タッパ、1食分

2018.2.25

外食をすると、農家の方や調理してくれたシェフの思い、「命いただきます!」の生きとし生けるものへのごあいさつ、さらには「私は食いしん坊」という現実と、いろいろなことが重なって、いつもいつも、「もったいない病」が発症してしまう。私、そんな日々の積み重ねで、糖尿病予備軍とか、中性脂肪高過ぎ!に直面。いよいよ不健康が現実になってきました。

 

 

自己管理ができていないのでしょう。そうでしょう。そうでしょう。それをちょっと置いておいて、「もったいない病の予防案」として、もしも、もしも、こんな常識(システム)がまかり通ったらうれしいなと言う、個人的な勝手な案を書かせてください。

 

 

それ、タッパに詰めて帰りたい(自己責任で)

 

 

ひもじい人に見えますか?明日の朝ご飯に、今日の夜ご飯に、この残りを食べたい。朝の忙しいときに一食分作る手間が省け、食材も無駄にしません。

 

 

「残飯は タッパに積めれば  一食分」

 

 

例えばですが、タッパに自己責任シールを貼ったら(消費日時をお店の人に書いてもらって貼るの)、タッパで持って帰ってもいいとか、もしくは「自己責任タッパ」なるものを新しく作って、条例でルール決めて、生もの以外なら、6時間以内には食べるか廃棄することとか、細かくルールにして。

 

 

ランチもディナーも、1食頼んだら2人分の量が出てくるお店も多く、最高においしくて大好きなお店でも、量を考えて値段も下げて欲しいと思うこともしばしば。「メニューの量を考える会」という会ままだ無いようですけれど、大中小みたいに、同じメニューの量を細かく設定するとかしてくれると、本当にうれしいな。

 

食べ物をガンガン捨てて、店舗増やしている外食産業ってどうなんだろうって時々思うのです。

 

 

でも、でも、もしかしたら一部の農家さんにとっては

 

 

「捨ててでも 買ってくれれば それが神」

 

 

なのかもしれません…

 

 

 

こちらは秋田市のもったいないアクション
http://www.city.akita.akita.jp/city/ev/cp/tabekiri.htm

もったいないアクション協力店さんが行っているという「食う~べえタイム」。はじめて聞きました。食べ残しを減らすための取組でなくて、食べられる量を個人が選択できる取り組みをすべきではないのか。そうなると、惣菜とか「中食」で食べれば?ということになるのかな…。「外食」では、コストとか商売とか、【彼方立てれば此方が立たぬ】状態なのでしょうけれど…

消費庁「食べ物のムダをなくそうプロジェクト」
http://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/information/food_loss/

プロジェクトという大枠はありがたいのですが、思うところがいろいろありすぎます

 

そろそろ、一つ一つのお店が、自分たちのお店の残飯0・食品ロスへの取り組みや考え方を提示して欲しいと思います。

 

 

飲食店やホテルで忙しく働いていると当たり前に食べ物をガンガン捨てます。私も飲食店でバイトしていたから分かります。

 

でもね、

 

 

「残飯は 1秒前まで  客の物」

 

 

あんなに精魂込めて作った野菜たち、あんなにコストかけて流通に乗ってきた食材たち。別のことに価値が置かれている様な気がします。

 

先日、子育てとお仕事をがんばる友だちと、ランチをしました。平日ランチは彼女にとって唯一ゆっくり食事ができる時間だそうです。食事も終盤を迎えた頃、彼女が「この残り物持って帰りたい。おいしいし、食材もいいものだし、夜ご飯の1品になるし、最高なのになぁ。今、おなかいっぱいだから食べらんねーし。残すしかないかな。食い意地はって食べようかな。旦那にも食べさせたいな。私って、やっこかな…」って、泣きそうでした。一食、一品、ラクしたい働く母が、食材にこだわった飲食店でランチを食べて、残したときに、こんな風に思うことを知り、私の心はキューってなりました。

 

そして、席を立ったとたんに、皿の上のそれは、残飯になりました。

 

 

 

 

「食べる」こと、もっと意識改革しないとな。なぜか、ナスDを思い出した。

こんな国もあるんだなぁ。お国柄もあると思うのですけれど。

https://grapee.jp/412018

 

 

食いしん坊の個人的な意見でした。
ウオーキング1日30分と週末時々バスケ、がんばります。

壁と卵

2018.2.9

2009年、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した時に、イスラエルのエルサレムで「壁と卵」を例え話にした演説をしました。

 

 

村上春樹エルサレム受賞スピーチ
https://www.kakiokosi.com/share/culture/89

この時の「壁」と「卵」の表現を思い出す出来事があり、今更ながら腑に落ちることが重なったのでブログに残しておこうと思います。

 

 

村上さんは、壁を「システム」と表現した上で、自分は常に卵側に立つと話していました。このスピーチを読み終えた時に、私が浮かんだ絵(イメージ)は、

大きな壁に寄りかかり目を閉じる卵Aさんと、壁から離れたところ(でも壁のおかげで日陰の恩恵は受けている場所で)殻が割れないように 自立しようともがき、起き上がりこぶしのようにコロンを繰り返す、卵Bさんでした。

 

壁に寄りかかっている卵さんAの方が生きやすそうです。壁が厚く頑丈であればあるほどそう感じました。

 

 

本来このスピーチは、壁=ミサイルや爆弾や戦車、卵=非戦闘市民を指し、イスラエル側を批判し、パレスチナ自治区の立場に立っている意味合いだと想像します。国際的なメッセージであることは間違いないのですが、「戦争」のない今の日本人にとっても深い意味のあるメッセージだと感じました。なぜなら、「システム」という恐ろしくも頼りたくなる「流れ」があるからです。

 

 

村上さんは、「システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」とも話しています。システムに魂はないと言います。

 

円滑に暮らすために作られたはずのシステムが、システムありきに乗っかって働き生きる人たちだけになると、だれも考えなくなってしまいます。AIが間違って発展した未来を想像しました。

 

 

人としてどうする?という考え方(自分個人の考え)と、システムに乗っからず客観的に捉えた考え方(公的な考え)、両方ないと、正しいことをしたと思っていたのに、蓋を開けたら犯罪で、後悔を繰り返すことになると思いました。これらの判断は難しいし、瞬発的にできないかもしれないけれど、こうした判断が明暗を分けることを自分の中に擦り込みたいと思います。日本人の場合「NO」と言えない空気があるので意識して生きないとシステムにのまれてしまいます。

 

システムに寄りかかる生き方も、そうでない生き方も「あり」ですが、「人としてどっち?」を心に常に問うてないと、システムに押しつぶされてしまうことが起こると思います。

 

システムを作る人間は責任重大であることも心に留めたいと思います。

グレーゾーンからの法規制

2018.1.29

民泊についての記事があり、民泊需要が高まっていることを数字で知る機会がありました。訪日外国人へのアンケートで、8人のうち1人が「有償での住宅宿泊」、すなわち「お金を払って住宅に宿泊した」と書いてありました。私自身、民泊の取材・編集がジワジワ増えてるなと、「民泊」需要が増えているのも少しだけ肌で感じていました。

 

 

「今日から我が家は民泊します!」と個人事業をいきなり始めても問題ないのかなとずっと疑問でした。私が民泊経営者を初めて取材したのは、今から15年くらい前だったと思います。子育てを終えた60歳くらいのご夫婦がほとんどで、ほのぼの無理なく経営している感じでした。「簡単に宿泊事業を始めているけれど許可いらないのですか?」。そんな現場の空気が寒くなってしまう質問を繰り返しながら取材してしまったのを思い出します。明確な答えは編集者からもなく「いいから原稿早く納品」と。ほどなくして「グリーンツーリズム」と言う言葉を聞くようになり、「民泊」「農家民宿」という言葉が流行のように聞かれるようになりました。

 

 

 

補助金が投下されて、民泊のページ物や特集を作る機会が多くなって来た中で、それらの民宿が合法で経営されていたのか否かまで調べて取材している編集責任者は希有だったのではなかったかと思います。

 

そして、ネットカフェは泊まることを目的としていないので、風俗営業法が縛りです。ホテルや旅館は旅館業法で規定されています。ネカフェに泊まることは合法なのか?という疑問もありました。「ネカフェ難民」という言葉も出てきていますが、調べてみると、ネカフェで泊まることを規定する法律がないので合法でも違法でもないというグレーゾーンという意見が多くありました。だから泊まる人もいます。

 

 

昨年、住宅宿泊事業法が国会で成立。観光庁のホームページに詳細が載っていました。6月から施行されるということです。いよいよ、民泊が法の下の平等でスタートしました。トラブルも多いからこそ法ができたのだと思います。

 

グレーゾーンだった民泊が法規制され、どう淘汰されていくのか見ていきたいと思います。

 

ここ5年くらい、ルールや法律が重要視されて、団体や業界が整備されているのを感じます。人間関係や情や古き良き…ということより、ルールや法が最強という時代になりそうです。

 

流れに逆らわず、見誤らず、改めて、一つ一つのお仕事を大事に、その業界のことを勉強して邁進したいと思います。

新年あけましておめでとうございます。

2018.1.1

明けましておめでとうございます。
2018年、感謝の心を常に育み精進いたします。
クローバープラス一同、5日より始動いたします。
本年もよろしくお願い申し上げます。

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年末年始お休みのお知らせ

2017.12.28

2017年も残すところあとわずかとなりました。
皆様におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
本年は格別のご愛顧を賜り、まことに有難く厚く御礼申し上げます。

年末年始は、12月29日〜1月4日までお休みを頂戴いたします。
今年もたくさんの素敵な方々との出会いがあり、ご一緒にお仕事ができて
とても幸せな一年でございました。

来年も、より一層のご支援を賜りますよう、従業員一同努めて参りますので
どうぞよろしくお願い申し上げます。

かしこ
平成29年12月

代表取締役 佐々木さち子

女性のそばにおひつ問題

2017.11.4

温泉に行ったときに、旅館で出てくる「おひつ」。

カップルや夫婦で温泉に行ったときに、この「おひつ」が女性側に置かれることを話題にした記事を、ハフィントンポスト日本版で見つけました。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/23/nanka_a_23253401/

興味深かったので備忘録も兼ねて綴ります。

 

 

 

「上座に座ろうが下座に座ろうが妻の方に置かれるおひつとしゃもじが辛くてね」というつぶやきが

先日知人とお話した内容とかぶりました。年齢的に、立場的に、そうなってしまうことってあります。

 

 

高級フレンチのお店などは、男性側のメニューにだけ金額が書いてあるときがあります。どちらがお金を払う側か、招待した側か、によるからです。

私の友だち(女社長さん40代)は、ある男性(40代)のヘットハンティングに成功。そのお祝いと会社の詳細をお話すべく高級フレンチにお誘いしたそうです。当然のように男性側に金額付きのメニューが渡されました。

 

 

 

その夜を振り返り彼女は「昔と段取りの仕方、気の使い方が異なる世の中になった。サービス業は、サービス大国日本なだけに、よりスキルの高い教育をしている企業、すなわち、時代の流れに合った想像力を持って仕事ができる人材が、さらに求められる」と話しました。とても心に残っています。

 

 

想像力を持って仕事ができる方は、目の前の仕事を一生懸命に行うことを、私も感じていたからです。これは時代に関係ないかもしれませんが。

 

 

 

日本人特有の「言わずとも行間を読め(空気を読め)」という美学は、今で言う「忖度」という言葉で置き換えられるのかも知れませんが、

これは昭和に青春があった方々にしか通じないかも知れないと最近思います。もちろん私も昭和が青春でした。

 

「おひつ」の置き場から、お勘定の際の「伝票」の置き場に話題が広がっているこの記事を見て、女性がご飯をよそうのが当たり前、男性が勘定するのが当たり前(女性は財布を出すふりをするだけでいい?)という時代を改めて考えるきっかけになりました。

 

おひつが私の横に置かれても違和感がないまま過ごせたことは幸せでありますが、今後は新しい価値観を受け入れ、想像力を持って対応できる自分でありたいと思いました。おひつが自分のそばに置かれても、この旅館はそういう旅館でそれも美学。そして、そういうことを良しとしない人たちがいることも、心に留めておきたいと思います。

 

 

 

明日もはなまるっ!

2017.10.2

秋田魁新報に掲載されている内舘牧子さんの「明日もはなまるっ!」コーナーが好きです(第1、第3日曜日)。

 

そもそも、内舘さんの本は、行動力しかなかった私の20代を支えてくれた大切な本ばかり。「30歳から再スタートしてもこんなふうに変化していけるんだ」と思わせてくれたのがきかっけで、今の私があります。20代の一時期、ほぼ引きこもり状態で、内舘さんの本ばかり読みあさっていた記憶があります。

登場人物たちの毒づき方が超スッキリで、他人のせいにして生きていた私の暗黒時代に光を灯し、支えてくれたバイブルでもありました。

 

さて、10/1付の明日もはなまるっ!は相撲ネタ。

「格差」をテーマに、角界の「番付が一段違えば虫ケラ同然、一枚違えば家来の如し」について触れています。どれがいいとか、正しいとかいうことではなく、角界を愛する一人の女性が、角界の常識を例に、私たちに考える機会を与えてくれているエッセイでした。

 

先日のブログで書いたサウジアラビアの女性は運転を禁止されていたという「格差」も、幸せか苦痛かは本人しかわかり得ないことです。

 

格差の記事が最近とても目に付きます。

 

授業中に生徒が20代の男性教師を蹴っている動画がニュースになっていました。テレビのニュース番組では生徒が問題視されておりました。しかし、YouTubeでアップされていたオリジナル動画を見ると、その様子を目の当たりにしている「その他大勢の生徒の状態」のほうが私には異常に見えました。ニュースでは音がすべてカットされていたのです。

でも、自分が学生だったときを思うとありえる異常な状況です。自分がこの教師だったらどうするだろうか考えました。

 

 

「格差」と「多様性」をテーマに、新聞やネットニュースを見てみると、自分の常識や、培ってきたことをいったん置いといて、考えねばならないことがたくさんあります。

多様性は人権を認め合ってこそです。そこから、さまざまなテーマで議論が生まれると思います。角界の格差の常識も、サウジの女性ドライバーOKも、生徒と先生の関係も…。

 

格差が伝統と共に美しく映ることも、時代と共に変革を求められることも、紙一重。

 

学校の先生は、20代そこそこで、民間企業で経験も積まず「先生」と呼ばれ、未来日本を支える若者の先に立つ人も多いです。学校や家庭で教えなければならないことも、大きく変わっていかなければならないのだと感じます。

 

サウジアラビアで女性の運転解禁

2017.10.2

9/28付の日刊自動車新聞に、「サウジアラビアの国営通信が、サルマン国王が女性の運転を許可する勅令を発布した」とありました。

 

世界で唯一女性の運転を認めていなかった国と知って驚きました。ここの国では国籍を問わず女性の運転はNGなのです。女性が車で運転するときは、親族の男性に頼むか運転手を雇うことが常識でありました。国際人権団体から女性抑圧の象徴との批判も浴びていたそうです。来年6月を目処に実施される見通しだそうです。

 

さて、この話を聞いて思い出したのは昭和の夫婦。「専業主婦だから、お父さんが危ないから運転させてくれない…」と免許がない50代、60代、70代の女性も少なくないと思います。そんな彼女たちは優越感を身に纏い幸せそうでしたけど、同じく免許を持つ女性が増えた時代でもあったと思います。

 

大事なのは選択肢が平等に増え続けていくこと、だと思いました。

 

そんな中で価値観の同じ人と出会い、共感しながら、多様性を認められる社会であること。あれも正しい、これも正しいから。

 

今だに、「運転は男性がすべきもの」という男性、女性、います。

どんなことにも性別的な向き不向きはあると思いますが、選択肢が無いわけではない時代。「〜すべき」の決めつけをやめるだけで多様性は広がると思ったのでした。

同窓会にて「感謝よりまず、ごめんなさい」

2017.8.22

本題の前に、会社ブログが社長ブログとなっていることに、少し違和感ありながら今日まで…。社長ブログに名前を変更した方が良さそうですね。

 

さて、この夏、26年ぶりに中学校の同窓会が行われました。
懐かしい顔ぶれ、歳をとった同級生。
そして、当時の先生たち。

 

中学校1年生から3年生まで、それぞれの担任だった先生とも会えて、
私が最初に先生の顔をみて出てきた言葉は、

 

「ご無沙汰しております。その節は大変お世話になり、また生意気で申し訳ありませんでした。ごめんなさい」

 

私が今日、しなければならなかったのは、
ありがとうございます、の前に、ごめんなさい と伝えることです。

 

当時、いい子ではなかったです。特筆すべきことがあるほど、悪い子でもなかったけれど。人として未熟であったとはいえ、一人の人間(先生)を困らせて傷つけていただろうと想像がつくから。
当時の先生たちは、今の私より若かったことを思うと、心苦しいです。

 

「なにをいうの。あなたはパワーに満ちていて、そのパワーの行き先にこちらが応えられなくて・笑」
「今、楽しそうでいがった。いがったな、安心した」
と、言葉を交わせたのが嬉しかったです。

 

ごめんなさいと伝えられて、そして感謝を伝えられて、とっても良かったです。
なんか、一人の大人としての関係を、先生や同級生たちとスタートさせることができたと感じます。

 

これは先生に限ったことではなく、同級生に対しても同じでした。
あの頃は若かった…で済ませられないことが、過去に起こっているかもしれないからです。

 

歳を重ねると、いろんなことが感謝に変わります。「おかげさま」とより強く感じる日々が多くなります。
人間が未熟で、当時は消化できなかったことも、歳をとれば理解できて、なおさら感謝の念が強くなります。感謝できる自分になったことは、何よりも成長で大切なことだけれど、
傷つけたかもしれない人がいるなら「ごめんなさい」は、もっと大事なのかもしれないと思います。

 

たとえば、学生の時にいじめられた人は、大人になってもずっとトラウマを抱えている人が多いです。反対に、いじめた方は、いじめたことさえ忘れていることがあります。
「当時、未熟でごめんなさい。私はあなたを傷つけ、嫌な思いをさせていませんでしたか。もしそうならごめなさい。」これができるのが同窓会かもしれません。

 

そして、大人になった現在も、仕事をしながら、誰かを傷つけているかもしれません。
中学生の頃よりは、大人になりましたが、大人として、社長として、女性として、まだまだ未熟で、周りの方々に気づかされて「はっ」とすることも多い日々です。

 

不本意とはいえ「あの時はごめんなさい」と、きっと未来に思う時が来るのだろうと、一生懸命という勢いを武器に走っている今は、何となく想像がつきます。
周りの人たちがくれる「気づき」を、察知しながら、
死ぬまで「感謝」と「ごめんなさい」をセットで成長していくのかもしれません。

 

突然人が変わったように感謝を口にする人がいます。
感謝をすれば過去がなかったことにはなりません。感謝をして、過去の自分も受け止めて、「ごめんなさい」の事実からも目を背けず、成長していきたいと思います。

 

未熟者ながら、今、すばらしい人たちとお仕事ができていることは、本当にありがたいです。
ごめんなさいを意識するからこそ、謙虚になれる気がします。

ゴルフ

2017.8.4

30歳になったころから、ゴルフはじめなよと言われ続けて、

「40歳になったらね」と約10年間、かわしてきました。当時はそんなお金も時間も、心の余裕もありませんでした。

38歳になり、そろそろ準備しようかなと、ゴルフをすんなり始めることができて、

今シーズン3年目となりました。

楽しいと思えるレベルまで来たものの、やっぱりぜいたくなスポーツだと思う今日この頃…。

貧乏性なのかな…と思ったり、

でも、経済的にも時間的にもゴルフできるくらいになったこともうれしく思ったり、

 

 

たりたり…な感じで、森岳以外のゴルフ場で100切りできるようがんばります

 

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